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西念寺(新宿区若葉2丁目)
西念寺は服部半蔵正成が建立した安養院を前身とする寺である。天正7(1579)年、服部半蔵正成は主君の家康の長男である徳川信康が織田信長から無実の切腹を命じられた際、介錯役を任じられた。しかしながら実際その時になると正成は涙にむせび介錯することができず、隣にいて見ていられなくなった天方通経が代わって介錯したという(『三河物語』)。それから15年後の文禄3(1594)年、正成は徳川信康の慰霊のため安養院を建立すると共に出家して「西念」と号した。安養院は麹町清水谷にあったが、正成の死後、寛永11(1634)年に現在の所在地である四谷に移転し、正成の号である「西念」をとって西念寺と改称した。同寺には服部正成の墓と、正成が家康より拝領したといわれる長槍(元々長い槍であったが、火災や震災で破損し現在は約2.6mほど)が残されている。 写真は西念寺にある服部正成の墓である。 PR |