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鈴降稲荷神社(港区赤坂5丁目)鈴降(ふり)稲荷神社はTBSの入っている赤坂サカスのある丘の裏手に位置し、住宅地に囲まれた一角にある。天正10年神君伊賀越えの際に家康が伊賀の山中を彷徨っていると、どこからともなく鈴の音が聞こえた。その方向を探って行き着くと、観音堂があり、堂主の山名孝倫という者がいた。山名は厨子の中より三個の鈴を取り出して家康に献じるとともに、付近の住民を集めて家康の道案内と警護をしたという。その後伊賀者が家康に召し抱えられて四谷の地に住む時、彼らは祠を建立し、さきの鈴を神鈴とし、鈴降稲荷神社として祀ったという。 鈴降稲荷神社は元々四谷仲殿町にあり、仲殿町・伊賀町一帯(両町併せて、おおよそ現在の新宿区若葉1丁目。かつて伊賀者が住んだ)が氏子であった。元禄8年上知(土地が御用地として召し上げ)となった際には現在の赤坂一ツ木に替地を給され遷座している。赤坂一ツ木の一部は当時伊賀者の所領であったので、たしかに伊賀者の鎮守社であったのだろう。 ちなみに、四谷仲殿町(新宿区若葉1丁目東部)は、かつて服部半蔵と共に伊賀者を率いた服部仲の下屋敷があったことに由来する地名である。服部仲に属した伊賀者がこの付近に居住したと推測される。 遷座した鈴降稲荷神社は社殿を設け、任命された別当は鈴降山神宮寺別当願性院と称して毎年1月4日に徳川家武運長久を祈願した御札を将軍に献上していた。しかし明治に入って社殿を焼失し建て直すものの関東大震災で大破したため、現在は祠が安置され、赤坂氷川神社が管理されている。筆者が訪れたときも、2人連れの参拝者がお参りされていた。 PR |